「故朝散大夫大和守小笠原君墓碣銘」

元禄期に豊前中津藩主(8万石)の小笠原長胤(ながたね)の実弟・長宥(ながます)が豊前時枝(5千石)の分知を受け旗本となりました。
長宥を嫡祖とする小笠原家の墓所には「故朝散大夫大和守小笠原君墓碣銘」があります。
この碑は、五代・小笠原長世の銘文を刻んだものです。

写真01_小笠原家墓所
写真01_小笠原家墓所

写真02_「故朝散大夫大和守小笠原君墓碣銘」
写真02_「故朝散大夫大和守小笠原君墓碣銘」
亀田豊斎(かめだほうさい)の書で、正面は「故朝散大夫大和守小笠原君墓碣銘」と書かれ、側面・背面は銘文があり末尾に「亀田興撰弁書」と刻まれています。

写真03_墓所脇
写真03_墓所脇
墓所脇の石の水槽に三階菱が刻まれています。

亀田鵬斎

亀田鵬斎は江戸時代の化政文化期の書家、儒学者、文人で、学問の見識が高く、私塾には旗本や御家人の子弟などが多く入門したといいいます。

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