松本城の小笠原資料

松本城にある松本市博物館で観た資料等の写真を掲載します。

写真01_松本城門
写真01_松本城門
「厳重な城門を構える虎口(桝形と馬出し)だけが城内への通路である。」(案内文より)

写真02_松本城案内
写真02_松本城案内
「松本城は深志城と呼ばれ、中世には小笠原氏の一支城であった。」(案内文より)

写真03_松本城歴代城主
写真03_松本城歴代城主
石川氏、小笠原氏、戸田氏、松平氏、堀田氏、水野氏の歴代城主が記載されている。

写真04_三階菱陣羽織
写真04_三階菱陣羽織
「小笠原氏にゆかりの資料(松本城管理事務所蔵)」(案内文より)

写真05_小笠原貞慶より下條頼安への書状
写真05_小笠原貞慶より下條頼安への書状(松本市立博物館展示)
「天正十年(1528)9月に、小笠原貞慶が伊那の豪族下條頼安に出した誓詞 (違約の場合は神仏の罰を受けることを誓った宣誓文)。これにより貞慶は反抗する 豪族を配下に治めることができ、松本地方の支配を強固なものとした。」(案内文より)

写真06_小笠原秀政の兎千寺への寄進状
写真06_小笠原秀政の兎千寺への寄進状
「この寄進状は慶長19年(1614)、小笠原秀政が兎千寺(とせんじ)に出したものです。
これにより兎千寺は寺領として20石を寄進され、諸役を免除されています。」(案内文より)

松本市史跡「小笠原氏三代廟」

写真07_「小笠原氏三代廟所」案内
写真07_「小笠原氏三代廟所」案内
浅間温泉「湯々庵 枇杷の湯」に行く途中、偶然見つけたものです。

写真08_「小笠原家三代廟所」解説
写真08_「小笠原家三代廟所」解説
「松本市史跡 御殿山 小笠原家廟所
松本城の基礎を築いた初代小笠原家の城主小笠原貞慶(さだよし)と秀政、忠脩(ただなが)父子を祀った廟所であり、 特に忠脩の遺骨が埋葬されている。
五輪塔は向かって右より秀政、貞慶、忠脩で、秀政は臨在寺殿、貞慶は大隆寺殿、忠脩は法性寺殿と それぞれ埋葬された寺名に関係深い戒名がつけられている。
なお、現在の五輪塔は貞享二年(一六八五年)松本城主水野忠直によって、建立された。
また、当時の御霊屋は天保十二年に消失したままで、石垣を残すのみである。
昭和六十一年一月 松本市教育委員会」(案内文より)

写真09_松本市史跡「小笠原氏三代廟」
写真09_松本市史跡「小笠原氏三代廟」
五輪塔は向かって右より秀政、貞慶、忠脩

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