小笠原城址(林城)
「歴史の里」散策マップ(松本市里山辺林町会)を頼りに林城を散策しました。
薄川にかかる金華橋を渡ると林大城の登り口があります。
登り口の脇にある案内板を確認します。
写真01_案内板
案内板によると、「林大城の築城は小笠原清宗の時代で、井川館から移った。天文19年(1550)小笠原長時の時に武田信玄に攻められ落城した。
主郭は山頂標高846m地点にあり、周囲には土塁をめぐらし、東側中央部には石積みも残っている。(平成23年3月 松本市教育委員会)」とあります。
これより、急な登りとなります。
写真02_見晴し
やっと見晴しのよいところに辿り着きました。
写真03_尾根道
写真04_一ノ門跡
写真05_小笠原氏城址
写真06_案内板
「南北朝争乱時の功績により信濃守護となって府中(松本)に入った小笠原氏は、平地の城館である井川城と山城の林城を根拠地として四周に順次山城群を配置して強固な防衛線を構えた。(昭和45年10月/昭和55年9月 長野県教育委員会)」(案内板より)
写真07_城址群略図
略図には、林大城、林小城、井川城、深志城、埴原城、山家城、桐原城、犬甘城、平瀬城が示されています。
写真08_登り道
写真09_柱の石台
写真10_東屋
写真11_案内板
「この史跡は、建武年間(1334〜)信濃守護小笠原貞宗が府中に井川館を設けて以来、長時が武田晴信に敗れて退去した天文十九年(1550)まで200年間、きびしい戦国の世に処した小笠原氏の本拠地で中世における連立式の築城遺構をもっている。・・・本郭の東北部には、水の手の遺構、城下の林部落には町割り、侍屋敷の名残りをとどめている。(昭和54年8月 松本市教育委員会)」(案内板より)
写真12_石積み跡
写真13_化粧井戸指標
写真14_大木
写真15_リンゴの実
秋の陽に麓のリンゴの実が光輝き感動的でした。
写真16_麓の眺望
すすき越しの麓の眺望に訪れてよかったと思いました。
写真17_林小城登り口
大城と小城を巡るつもりでしたが、大城を下ったところで夕刻となったので、小城はまたの機会に回し、塩尻峠の合戦跡地に立ち寄ることにしました。